文化的な生活

本のこと、音楽のこと、日常のこと。

私の読書歴ー読書が嫌いな人々、読書の習慣を付けたい人々へ

 いつごろから本を読むようになったのだろうと考えてみます。
 
 大学時代に宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にいたく感動し、それ以降多くの本を読むようになったのです。そういう意味では、『銀河鉄道の夜』は人生のターニングポイントとなる作品でした。しかしそれまでは、読書歴と呼べるようなものは無かったと思います。
新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

 

 

 私が小学生のとき、本を読んだ記憶はほとんどありません。漫画はよく読んでいましたが、小説となると10冊も読んでいないでしょう。その10冊というのも、学校側から与えられた課題のために読んだようなものです。学校の課題というのは、一つは夏休みの読書感想文のようなもの。そしてもう一つは、「読書の時間」として設けられた時間中に読んだ本です。
 
 読書感想文については、それだけでいつか記事を書こうと思います。ここでは、「読書感想文を書く」という行為に関する是非には触れず、私が読書感想文を書くために読んだ本を思い出してみます。ぼんやりと思い出せるのは、夏休みに大木の上に秘密基地をつくる、といった話だったと思います。ほぼ毎年書いていたはずなのに、この一冊しか思い出せない。この一冊に関しても、タイトルを思い出せない。何を書いたかなんて、到底思い出せません。
 
 どうしてこの本だけ覚えているのか、その理由だけはハッキリと覚えています。この本の感想文を読んだ年に、母が、読書感想文の書き方について書いてある、小学生向けの本を買ってきてくれたのです。
 
 読書感想文はとても難しいもの。
 「おもしろかった」ではなくて、「OOだからおもしろかった」と書くようにする。
 筆者に反抗してみる。「OOはよくわからなかった、それは違うと思った」ということも書いていい。
のような事が書いてあったと思います。今思い返すと、批評の基本事項をわかりやすく書いた、非常に良い本だったと感じます。私の人格形成にも大きく影響を与えた本かもしれません。この年の読書感想文は、賞こそ取れませんでしたが、去年までの私と比べると見違えるほどよく書けた記憶があります。
 
 「読書の時間」として設けられた時間には、小学校2~3年生の頃には、「王様シリーズ」を読んでいました。でもやっぱり、与えられた時間内は読んで、それなりに楽しいのだけれども、外で遊ぶほうが好きでしたね。小学校も高学年になると、なんだか王様シリーズを読むのも恥ずかしい気がして、別の本を読んでいたように思います。しかし、何を読んでいたのか、全く思い出せません。王様シリーズを読み続けていれば、もう少し早い段階で読書の面白さに気づいたのかもしれません。 
ぼくは王さま (フォア文庫 (A008))

ぼくは王さま (フォア文庫 (A008))

 

 

 中学生に上がると、もっと本は読まなくなりました。文章を読むのも書くのも嫌いでした。母が買ってきてくれた『ハリーポッター』は、50ページくらいでやめてしまいました。ライトノベルの前身のようなものができつつあって、友人が一生懸命読んでいたのを覚えています。友人が何人かでその本について面白そうに話しているのに、私は1ページも読みませんでした。それくらい、本を読むことが嫌いになっていた時期かもしれません。小学生の頃の、本を読まされた経験が、私を読書から遠ざけていました。他の理由として、ロックミュージックに傾倒していた時期だったということもあります。このころの私の関心は、クラスの女の子のこと、ギターの音、毎週のジャンプ、宿題をいかに楽に乗り切るか、それくらいでした。今でも大した違いははありませんが。
 
 高校に入学すると、私の本嫌いは少し緩和されます。国語の先生が非常に面白い授業をする先生だったことも一因だと思います。しかしながら、高校時代に読んだ本も、10冊に満たないと思います。高校以前に比べると、記憶が新しいせいか、読んだ本はいくらか覚えています。村上春樹氏の『ノルウェイの森』を読みました。上下巻一気に通して読んだと思います。非常に面白く読めた記憶があります。堀江敏幸氏の『雪沼とその周辺』を読みました。衰退していく街で、死について考える人々。静かな世界観が好きでした。この両者の作品は他にもいくつか読みましたが、読書が習慣となることはありませんでした。途中で読まなくなる作品のほうが多かったですね。
雪沼とその周辺 (新潮文庫)

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

 

 

 そして、冒頭でも述べたように、大学に入ったばかりの頃、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にいたく感動します。余暇の多い時期ということもあり、本を読んでみようと言う気になりました。最初は様々なジャンルに手を出してみました。ミステリー、時代小説、ファンタジー、ノンフィクション、哲学、科学、社会、思想…とにかく、途中でやめてもいいから、数をこなしました。その後、私は日本語の美しいもの、世界観の美しいものを好むということがわかってきました。逆に、推理小説や時代小説にはあまり興味を惹かれないことがわかりました。さらに、これまで読むのを挫折してきた本というのは、ファンタジーであったり推理小説であったり、非常にカタイ訳をされた本であったりしたこともわかってきました。ああ、私は読書嫌いではなかったのだ。私に適切な本に出会ってこなかっただけなのだと思いました。そして一年ほどたった後、安部公房の『砂の女』に出会い、読書とはかけがえのない、なにものにも代替不可能な経験であると思うまでに至りました。
 
砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

 

 

 読書をしても、途中でやめてしまう、つまらなくなってしまう、でも本は読んでいたほうがいいと皆言うし…と思っておられる方は多いと思います。いくら途中でやめてもいいから、とにかく色んな本を読んでみたほうがいい、というのが私の考えです。50ページくらい読んでみて、面白くなかったらやめてもいい。いつかきっと、寝る間も惜しんで先を読みたくなる本に出会えるはずです。私の読書歴を振り返ってみて、そのように思います。