文化的な生活

本のこと、音楽のこと、日常のこと。

殺戮にいたる病/ 我孫子武丸

 ネタバレは無いように書いています。
 
 ミステリー作家我孫子武丸氏の作品。
 私はもともとミステリーをほとんど読みません。しかしながら我孫子氏がシナリオを書いたゲーム「かまいたちの夜」のファンでありまして、ミステリーだけれども我孫子氏の作品は一度読んでみたいと思っていました。kindleの購入もあり、せっかくだから我孫子氏の作品を読んでみるかと手を出したのがこの一冊。 
殺戮にいたる病 (講談社文庫)

殺戮にいたる病 (講談社文庫)

 

 

 東京で謎の猟奇的殺人が続く。犯人の名前は蒲生稔、最初からそのことは言われています。猟奇的殺人の発生から終着まで、犯人目線、犯人の家族目線、それを追う人物目線で描かれます。ネタバレになると思うので内容には殆ど触れません。
 
以下読書感想文
 
 やられた。
 
 私がミステリーを毛嫌いしていたのは、良いミステリーを読んでこなかったからだ、と、そう感じさせる作品。コテコテの正統派ミステリーではないのだろうけれども、文章で読ませ、入り込ませ、気づかないうちに作者の仕掛けた罠に引っかかっている、この感覚が私の理想のミステリーそのものだった。
 
 トリックが云々、展開が云々より、そもそも文章に力がある。猟奇的殺人がテーマの本書であるが、そのシーンでは吐き気を催すほどの表現力がある。人物の書き分けも上手い。登場人物はきわめて性格の分かりやすいような行動をとっており、ああ、こういう人いるよな、こいつは嫌なやつだな、悪気はないんだろうけど友達にはなりたくないな、と素直に感じることができる。そのおかげで、それぞれの人物が実在の人物かのように思え、すんなり世界に入り込める。その巧みな文章力、文章を読むだけでもおもしろい。心地よいテンポを持った世界に入り込んでいるうちに、やられた。
 
 ミステリーが好きじゃない、という人も一定数いるとは思う。私もその内の一人なのだが、ぜひとも本作を読んで欲しい。正統派ミステリーとはいかないが、こんな体験のできる本を他にも読んでみたくなることうけあいだ。
 

ホテルローヤル/ 桜木紫乃

 直木賞受賞作。桜木紫乃氏の作品はコレがはじめてです。「ホテルローヤル」というラブホテルを中心とした、様々な男女の物語を収めた連作短編集。物語の中で、ホテルローヤルは廃墟だったり、店を畳む寸前だったり、開店前だったり、それぞれの時間で男女の物語があります。 
ホテルローヤル (集英社文庫)

ホテルローヤル (集英社文庫)

 

 

 以下読書感想文
 ・「僕はこの十年間、男も女も、体を使って遊ばなきゃいけない時があると思いながら仕事をしてきました。自分はそのお手伝いをしているんだと言い聞かせながらやって来ました。間違ってはいなかったと思います。」

  短編 えっち屋 にて、アダルトグッズ販売社員の宮川が、ホテルローヤルを切り盛りする雅代に言ったセリフ。すべての短編が、幸不幸関係なく、楽しい物も悲しい物もごちゃまぜで、男女の交わりのあり方について、ラブホテルを舞台にして書かれた物語だ。読む際に、この短編は、こういう男女のあり方なんだなあ、と簡単にまとめながら読んでみると良いかもしれない。上に引用した えっち屋 は、他人の性を長年そばで見てきた二人自身の性の話。雅代が宮川に惹かれたのは、そこに共通点を見出したからなのだろう。

 
・ふたりとも等しく年を重ねていることがわかる。それはそれで、幸福なことに違いなかった。
 短編 バブルバス にて、主人公の恵の思いだ。この短編は非常に幸福にあふれている。長年連れ添った幸福(?)な夫婦のお話。ラブホテルでのほんの数時間が、恵の人生に彩りを与える。すごく幸せな気分になる。
 
 ヌード写真、不倫、お金、いろんな性を描いた本作品。ラブホテル「ホテルローヤル」にて、それぞれが何かを失い、何かを生み出していく。ラブホテルの一室でのほんの数時間で、確実に何かが変わっている。何が変わるのか、それに向き合い答えを出そうとしている作品だと考える。
 
 
 面白かった表現をすこし
 
・みな素人だということがすぐにわかる。虚栄心を隠す技術がない。モデルのようにふるまいながら、自分を「モデルみたい」だと思ってしまっている。
 プロのモデルと素人の違いはここにあるのかもしれません
 
・妻と校長の関係を知ってしまった自分のほうが、ずっと悪いことをしたような気分になった。あの罪悪感からはまだ脱出できていない。
 この罪悪感は、ありますね。具体的には思い出せないけれども、知りたくないことを知るまいと動いている気がします。私も。このことに関しては、本の主題とは関係ないけど、どういう罪悪感なのか、きちんと考えてみたいところです。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? / Philip K. Dick (浅倉久志 訳)

 非常に有名なSF。Philip K. Dickの作品
 私は普段SFも訳本もあまり読みません。日本語の綺麗さ、ハッとする表現に出会うのが好きなので、SFの重厚な設定、世界観にはそんなに魅力を感じないのです。訳本はもってのほか。しかしながら、せっかくkindleを購入したので、コレを期にいろいろ読んでみようということで、読んでみました。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 

 SFもなかなかいいじゃない、と思いましたが、訳本はやっぱりどうも…
 
 以下読書感想文
 
 大きな戦争を経て、放射線によりすべてが汚染され尽くした地球。人類の多くは人型のアンドロイドを引き連れ、別の星へと移住していった。地球では、ほとんどの生物が死滅してしまい、生物を所有していることが一種のステータスとなっている。主人公は犯罪を犯したアンドロイドを始末するバウンティ・ハンター。見た目は人間と変わらないそれらを始末していくうちに、色々な思いを抱えることになるわけだが…と言ったお話。
 
 SFとしての話は非常に巧妙だと感じた。特に中盤、主人公の身の回りに予想外の出来事が起こる。誰がアンドロイドなのか、主人公もアンドロイドなのか、もしかするともう人類はすべてアンドロイドなのか…そのような気分にさせてくる。
 
 作中において、アンドロイドと人間はほとんど違うこと無く書かれている。人間とアンドロイドの違いは…模造の電気羊との違いは…
 
 このような話になってきてから、私は少しついていけなくなってきた。SFとしての設定、展開、それは素直に面白かったのだが、どうしても、主人公の苦悩、感情、そのような話になってくると、訳の問題がつきまとうようで嫌なのだ。訳者もプロなのだろうが…主人公の思いを母語以外から読み取り、それを母語で表現する…到底不可能なことのように思えて、すんなり受け入れられない。
 
 ということで、後半、主人公の苦悩がメインになってからはなかなか読むのが難儀ではあったが、SF作品として、この世界の恐怖はよく味わうことが出来た。他のSFを読むきっかけとしてはかなり良かったと思う。訳本はやっぱり、つらい…
 

初詣のインタビューでこどもが

 少し前の話になります。
 
 初詣に行ってきました。
 
 うちはいつも、1月3日に行きます。1日は何もしないほうがよい、2日は人が多い、という理由から。
 
 バスで近くのバス停まで行ったのち、ゆっくりゆっくりゆるやかな長い坂を登っていきます。左右は住宅や小さな商店のならぶ狭い通りです。車も通れないような狭い道です。きっと普段はすごく静かなところなのでしょうが、私も1月のこの日にしか行かないので、わかりません。毎年、家が新しくなっていたり、潰されていたりしています。
 
 新しい家がありました。綺麗な表札がかかっていました。表札には「澤村・浜田」の文字。「浜村・澤田」だったかもしれません。苗字が2つ、おっきな表札に。なんでこんなおっきな表札にと思ったかもしれません。なんでそんなに主張するのか。なんだか強烈なインパクトが有りました。
 
 
 年末年始はテレビを見ます。
 
 普段はまったく見たいテレビですが、テレビでもつけていないと、年越しの感じがしないので、年末年始だけはテレビを見ます。初詣のニュースをやっていました。マイクを向けられたこどもの今年の抱負は「今年は勉強を頑張りたいです。」
 
 大人の「英語の勉強をします」だったり、「本を100 冊読みます」だったりとは違うと思うのです。大人のそれらは、その先の目標があったり、あるいは、それをすること自身がなにかカッコイイような気がしていると思うのです。でも、その子の「今年は勉強を頑張りたいです」には、お行儀よくしないといけない思いしかなかった気がします。

こちらあみ子/ 今村夏子

 今村夏子氏の、最初の本です。これ以降出すかはわかりません。最初で最後の本かも。太宰治賞と三島由紀夫賞同時受賞作です。
こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 

  私がkindleで読んだ、二番目の本です。

 
 以下読書感想文。
 
 これほど心がかき回される物語はないと、そう断言できるほど、素晴らしい作品だった。ネタバレをすると少し面白くなくなる作品な気がするので、あまり内容には触れないでおくが、こんなに美しく、こんなに悲しい世界に少しの間だけでも没入できたことは、ああ、やっぱり小説っていいものだよなあ、何にも代替不可能な魅力があるよなあ、と再確認させる。
 
 世界観の構築と、読者との距離の取り方の巧みさで勝負している作品だと思う。物語のテンポは一定だし、驚くような事件もなければ、直接的に涙をさそうようなシーンもない。小説のテンポの変え方は映画なんかに比べると自由がきいて、そこが一つの旨味だと考えている。だから途中までは、こんな淡々としたテンポなら、映画にもできそうだなーと思ったが、最後まで読むと、これはやっぱり小説でなければならないと感じた。この世界と、この距離感は、小説で無くてはならないと。
 
 一度読んだあとに、プロローグの一節
 
・今にも泣き出しそうな顔を見ていると、今度はこの子のお母さんにも喜ばれるような花を持って帰らせてあげなくてはという気持ちになった。 
 これを読むと、あみ子だって、あみ子のペースで前に進んでるんだよなあと、思う。
 
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